【Common Journal vol.8「表面張力・加藤伊織さん」】
コモンにまつわる日常の風景や物語をお届けする『Common Journal』。第8回目のゲストは、インド・ゴア地方のスパイスカレーをルーツとした飲食店『表面張力』を営む加藤伊織さんです。
『表面張力』は、2024年4月に世田谷区・学芸大学にてオープンしました。学芸大学駅から活気のある商店街を歩くこと8分、目黒通り沿いの一本裏道を入った角地に『表面張力』はあります。
以前からお知り合いだったという、前のオーナーさんが地方へ移住するタイミングで、加藤さんに声がかかり、こちらの物件を引き継ぐことに。
「お店の看板もまだ作っていないのですが、そういった視覚的なアプローチはなくても、例えばお店から漂う香りによって、そこがカレー屋だということに道ゆく人は気づきますよね。本来、香りや音など『五感全体でカレーを楽しむお店』というコンセプトで作った場所なので、体の内側と外側から人々の不調を『複合的に治すこと』を目指し、日々スパイスの調合などを研究しています」
カレー屋を営む傍ら、柔道整復師のお仕事もされている加藤さん。全く異なる二つの仕事を生業とされる中で、それぞれの考え方についてお尋ねしてみました。
「元々は、柔道整復師がキャリアの始まりで、それは現在も続けています。比率でいうと、現在はカレー屋が8割、整復師が2割くらい。異なる仕事ですが、どちらも共通して、『1対1で人を治す仕事』だと思っています。健康を軸として、整復師はマイナスからゼロ地点へ導くことができますが、ゼロ地点からプラス方向へ更に飛躍できるのがカレーの役目だと考えます」
お店の窓を覆うようにして生い茂るゴーヤは、前のオーナーさんが残してくれた良質な堆肥の土のおかげで、とても育ちがいいのだとか。
「お店作りにおいて、インテリアや植物も大切にしています。これまで世界中を旅する中で集めてきたものや、父親から譲り受けたものを修理して使ったり。外から店内へと自然に繋がっていくようなイメージで、風の通り道を意識してグリーンを配置しています。ドアを解放して外と店内の境界線を無くし、オープンな食堂を目指しています。インドではそういった食堂が多いんです」
席に座らせてもらうと、適所に佇む植物や異国情緒溢れる雑貨に自然と目がいき、外から流れ込む風を感じることができ、心地よい音楽が耳に入ってきます。ここでは、文字を追う日常から一旦離れ、料理の音に耳を澄ませたり、部屋いっぱいに広がるカレーの香りを楽しみながら過ごす、そんな豊かな時間が流れています。
「心地よく暮らすためにはどうしたらいいか。それを生活の軸として常に考えています。現代において、目に入ってくる文字の情報量が非常に多いと感じているので、店内には極力そういったものを置かないよう配慮しています。視覚的なものに人は影響を受けやすいので、あえてこの場所では、メディテーショナルな気分で脳を休めてもらえたら」
インド・ゴア地方のスパイスカレーがベースにある表面張力のカレー。インド内でも、ゴア地方を選んだ理由についてお聞きしました。
「ゴアというと、リゾート地やパーティー、ヒッピー文化のイメージがあるかと思います。ですが、歴史的には元々ポルトガル領であり、その名残でキリスト教徒が多いのもゴアの特徴です。ゴアの位置する南インドでは、宗教上の理由で食材制限が多いのですが、ゴア料理はそういった制限がなく、豚肉も食べて良いですし、食文化において自由度が高いんです。ゴア料理であれば、そこに更に創造性も盛り込めると考えました。また、南インドではミールス(複数の副菜を少しずつ盛ったもの)が提供されますが、ミールスの食べ方にしても独自のルールがわからず、日本人にとって日常に取り入れることが難しいと感じました。それに比べ、ゴア料理は西洋のコース料理のように一皿ずつ提供される構成で食事が進んでいくため、より受け入れやすいと思いました」
ゴア地方の食文化が、インドの中でも日本人の文化や味覚に合うカレーとして受け入れられやすい可能性を秘めており、西洋文化を通して日本食にも通ずる部分がゴアのカレーにあることが、お話をうかがう中でわかりました。また、登山家の一面も持つ加藤さん。これまで世界中を旅する中で、南米ペルーでスパイスの魅力に魅了され、カレーについてもインドへ足を運び、独学で勉強したといいます。
「現地では、ローカルレストランを食べ歩き、さまざまな台所を見て研究しました。帰国後、準備期間を経て、2014年に三軒茶屋でカレー店『プラマーナ・スパイス』を間借り営業でオープン。その後、下高井戸、池袋に拠点を移し、同名義で約10年間活動しました。これまでの経験を活かし、『表面張力』ではストイックになりすぎないよう、調理段階で工夫を重ね、お客さまに提供することを心がけています」
普段、お店で料理を提供する際に気をつけていることも教えていただきました。
「一皿盛りにするのではなく、西洋文化的な縦軸に進んでいくことをイメージして、一皿ずつ提供することを意識しています。それは、一般的なカレー料理に対する差別化の意味も込めていますが、盛り付け一つにしても、食材が良く見えるように、素材そのものの形を残した状態で調理しています。具材の形が見えなかったりすると、残念ながら残す人も多いように思います。魚料理では、旬の魚をぶつ切りで、チキンであれば骨付きで。骨付きにすると、骨からの旨味も増して一層美味しいのです」
加藤さんのお店では、普段コモンの食器を使って食事を提供してくださっていますが、使い心地はいかがでしょうか。
「コモンの食器に料理を盛ると、一気に高級感が出て、最後にバシッと決まるんです。押し付けがましくなく、サーブする料理を選ばず、どんな料理も受け入れてくれるところが特に気に入っています!」
加藤さんのお話をうかがう中で、様々な引き出しからお話くださり、そこにはこれまで積み重ねてこられた経験と、研ぎ澄まされた精神力から構築されたであろう、安定したバランス感覚のようなものを感じました。ゴアで得たスタイルと、ご自身のスタイルを絶妙に融合させ確立した『表面張力』のスパイスカレー。
ゆくゆくは、二店舗目の出店を見据えているのだとか。次はどのようなコンセプトのお店が誕生するのか、今からとても楽しみです。
〈プロフィール〉
加藤伊織
1988年東京生まれ。
スパイスの香りや快楽性に魅了され独学でカレー作りを開始。
2024年4月学芸大学駅にてゴア料理をヒントにした料理店“表面張力”を開業。
instagram:@_hyomen_cyoryoku
撮影: 阿部健 @t_a_b_e